ブラックジョークにも程がある
自担がジャニーズ事務所を辞めるらしい。
びっくりした。
言葉が出なくて固まってしまった。
涙も出なかった、
今までだって悲しくて堪らない別れは沢山あった。
周りのジュニアの子たちが辞めて行くたびに、該当担の方は悲しいだろうなぁとか、辛いだろうなぁとか思ってはいたけれど結局それも他人事で、いざ自分がその立場になると「悲しい」「辛い」そんな言葉では計り知れないくらいの想いで押し潰されそうになった。
まさか自分がこんな文章を書く日が来るとは思いもしなかった。
本当だったらこれは11月30日に発表があってすぐに出そうと思ってたんだけど、色々思うところがありすぎて書き上げられず結局この日になってしまったヲタクの戯言です。
これを読んでなにかしら感じてくれたり、こんなやつも居るんだな、くらいの気持ちで呼んで頂けたら嬉しいです。
発表があった11月30日から今日この日までの1ヶ月はとても早かった。
発表があった時は、「え、その1ヶ月どう過ごしたらいいわけ?普通に無理だ、死ぬ、」なんて思っていたけど、実際にはそんなことを考えてる暇もなくこの日になってしまった。
この1ヶ月、痛いほど身に染みて分かったことがある。
それは私にとって"森田美勇人"という存在が如何に大きかったかということ。
正直こんなにもメンタルがやられるなんて思っても無かったし、何をするにも無気力で元気も出なかった。あと、なにより美勇人くんが居ない世界は何も輝いて見えなくて、これから先が思いやれた。
とりあえずやるべき事はやらなきゃと思ったので、最後のファンレターというものを書き、ニートは何回見たか分からないくらい見に行った。それでもやっぱり虚しさ、悲しさは消えなかったけれど、少しでも美勇人くんの力になれば、と思い必至にやれる事をやった。
その結果なのかは分からないけれど、ニートが1月10日までの延長上映が決まったらしい。ほんとに嬉しかった。
正直、美勇人くんが事務所を辞めることなんてないだろうなと思っていた。
何処かで期待しすぎていたのかもしれない。
ジャニーズ事務所にとって"森田美勇人"は無くてはならない存在で、必要不可欠だと思っていた。
(まぁ、今でも私はそう思ってるけど事務所からしたらそうじゃないらしい、
ジャニーズという厳しい世界、現実を受け止めて辞めていく子、自分のやりたいことに真摯に向き合い辞めていく子、理由はどうあれきっとこの子たちの背景を知らない人は"逃げた"、そう思うのだろうか、
もしかしたら美勇人くんも、Love-tuneの他のメンバーだってそう思われてるのかと思うと、ほんとに胸糞悪いし、事務所を呪いたい気分になるけど、結局は本人たちが決めることだから何も出来ないヲタクは虚しいなぁと思う。
多分きっとこれから先、ここで美勇人くんの事について書くのは最後だろうから、最後に私の大好きな"森田美勇人"について思う存分書いてやろうと思う。
ダンス、あんなに上手いのにいつまでも進化し続けようとする貴方の姿勢にいつも感銘を受けていました。正直ジャニーズで一番ダンスが上手いと思ってた。
笑顔、美勇人くんが居る場所は自然とみんなが明るくなって笑顔になれた。ステージ上でも遭遇した時でもいつでもあの無邪気な笑顔を見せてくれた。
みんなに愛されてるところ、先輩からも同年代の人からもみんなに好かれていたのは美勇人くんの素敵な人柄があるからこそなんだと思う。
昨日のアイランドの見学の話を聞いてつい泣きそうになった。笑
後輩に慕われてるところ、後輩の子たちが「美勇人くんが優しくしてくれた」とか言ってるとこっちまで嬉しくなって、こんな素敵な人のファンで居られて良かったなあ、っていつも思ってた。
脚!、脚が長すぎて生で見ると「半分以上脚じゃん!」っていつまで経っても思ってた、笑
あとスタイルが良い、食べても太らないなんて全国の女子を敵に回すような発言もしてたね、笑 どんな服でも素敵に着こなすのはそのスタイルあってのものだと思う。2017年は心配になるくらいに痩せてたからこれからはご飯もっと食べてね。
お洒落なところ、美勇人くんが着ると何故か素敵に見えるし、少しダサめな衣装でも美勇人マジックにかかればお洒落になる。FBのお仕事も美勇人くんの頑張りがあったからこそ。
ファンサが魔法、美勇人くんがしてくれた数あるファンサの中で一番思い出に残ってるのが、今年の横アリ単独での「脚半分ちょうだい」うちわに対しての全力の無理!やだ!笑
こんなクソみたいなうちわ出してるのに対応してくれて心底優しい人だなぁと思った。
ポンコツなところ、お化けも虫も魚も動物も苦手で女の子みたいに騒ぐ姿がもう見れないのかもしれないと思うとほんとに寂しい、笑
無理をしすぎるところ、これは本当に心配になる。美勇人くんはあまり周りにそういうことを言わないし見せないから余計に。去年のキントレはこの人本当に死んじゃうんじゃないかと思うくらい心配だった。それでも私たちには笑顔を見せてくれるから流石だなぁと思う。
最後はやっぱり存在。
"森田美勇人"という存在がそこに居るだけで私は幸せだったし、ここ数年の活躍以前には干された時期だってあったし、その苦しい時期を乗り越えてきた美勇人くんだからこそ、誰にでも優しくて慕われてたんだと思う。
美勇人くんがジャニーズ事務所で過ごした
"13年6ヶ月20日"
その長い長い時間が美勇人くんの人生にとって正解だったのか、それとも間違いだったのか、きっと私には永遠に分からない。
でも確かに森田美勇人という存在がそこにはいて、最後の最後まで私に夢を見させてくれた、その事実は変わらない。
最後の最後の最後まで、
美勇人くんは私たちに笑顔を見せてくれた。
私たちに幸せをくれた。
そういえば美勇人くんはいつどんな状況でも辛そうな顔はしなかったなぁ。楽しみ半分、無理しないでほしいなぁ、なんて心配の気持ちもありながら舞台やコンサートに足を運んでいたのが今では夢の時間だったのかと思うと、これから先、私の大好きだったジャニーズとして舞台に立つことはないと思うとやりきれない。
でも私は結局メロヲタだから美勇人くんが幸せならそれで良い。好きなことをして、私の大好きな笑顔を見せてくれればそれで良い。
でもやっぱり寂しいからたまには姿も見せて欲しい。あと、ダンスも、笑
長くなるのでここではLove-tuneのことは書かないけれど、7人の空気感が大好きだった。
いつどんな時でも私達を巻き込んで連れていってくれる優しさと、時には強引に私たちを導いてくれるその強さにどれだけ助けられただろう。
きっとそれぞれがそれぞれの夢や希望、もしかしたら絶望かもしれないけれど、そんな想いを抱えながら"辞める"その決断をしたことを私は誇りに思うし、一生忘れない。
いつかこれが思い出になって笑い飛ばせる日が来るのを信じようと思う。
新しいステージに進む決意をした7人の人生がキラキラ輝きますように。
そして美勇人くんが幸せそうな笑顔をまた見せてくれるのを信じて。
"愛することは目が曇ること"
その言葉が最近身に染みるのは何故だろう。なんとなく理由は分かっているけれど、今は知らないふりをして、冬のこの厳しい寒さの所為にして、生きていこう。
大好きだったはずの冬が嫌いになってしまったけれど、いつか好きになれる日は来るのだろうか。この冬の匂いが、寒さが、目に入るもの全てが2018年12月31日を思い出させる日がいつか来なくなるのを信じてこのはてブは終わりにしようと思う。
最後に、
美勇人くん、アイドルという職業に人生の半分以上の時間をかけてくれてありがとうございました。そして、ここまで時間をかけさせてしまってごめんなさい。これからの長い人生を目一杯幸せに過ごしてください。
それだけでヲタクを幸せです。
重いオタクでごめん、って話
2017年8月17日
私の中の何かが崩れ落ちた日
Travis Japan は私の特別でした。
そして、森田美勇人が1番輝ける場所だったと今でも思っています。
今から書くことは全部本音です。
でも誰が悪いとか、誰が嫌いとか、そういうことではないです。
ただ全て受け止めるにはちょっとだけ時間が足りないから、ここに自分の思いを書くことで過去に縋って動けない自分が少しでも浄化されれば、と思い筆を取ります。
お話の前提として、私は俗に言うビジュアル系バンドに通っています。
そこをご理解の上で読んで頂けると有り難いです。
私がここまで拗らせることになってしまった理由、経緯を時系列に沿って書かせていただきますね、
事の発端はキントレ、トラジャ公演のオーラス8月17日。
これから先の人生のでこんなにも後悔する日は無いだろうなと思う。
2017年に入り少し経った頃、
美勇人くんの脱退疑惑が耳に飛び込んで来た。
正直、その当時の Travis Japan と Love-tuneの仕事量だけを比べると、どうするべきかなんて一目瞭然だった。
だが、根も葉もない噂は信じない!と、特に気にしないふりをしていた。
(今思うと、信じたくない自分を肯定するためにこうやって言い聞かせていただけなんだろうなあ)
けれど、私が嫌だと思えば思うほどそれは現実味を増してきて、オーラス5日前、わたしは遂に耐えられなくなり入る予定だった公演のチケットを全部譲り、逃げるようにV系バンドのツアーに行った。
現地に友達がいたこともあって、札幌まで飛んだ。
厳密には15.16日でのライブだったが、流石に帰ってきてそのままオーラスは入れないだろうと、私は逃げるように札幌に行った。
少しでも美勇人くんのことを忘れたくて。
私が美勇人くんを好きになった第1の理由はダンスだった。その大好きなダンスをしてくれる美勇人くんが見れなくなると言う現実に目を背けたくて。
とても楽しくて、その間は完全にとはいかないけど美勇人くんのこと、トラジャのことを忘れられた。
ずっと心の中にいたモヤモヤが少し薄れて幸せだった。
そのまま16日の深夜便で帰り、羽田の国際線で始発を待った。
地元に帰りそのままバイトへ行き、やっと帰還して安心したのも束の間、友達からこんな文が送られてきた。
"
美勇人くん最後まで笑ってたよ。
まひろの好きな人はいつも強くて素敵だね。
"
私は泣いた。涙が止まらなかった。
どうしたらいいか分からなくなった。
自分は何をしてるんだろうととても不甲斐なかった。
幸せな時間だけは共有して、こういう時だけは会いに行かないなんて、私はなんて都合のいいやつなんだ。
こんなんじゃ、美勇人担失格だなぁ。
タチの悪いオタクでごめんね、美勇人くん。
2011年から私の特別は森田美勇人だった。
誰かのことをずっと好きで応援するのも、
誰かのために時間を割いてお金をかけるのも、
その人がいるだけで世界がキラキラ輝くのも、
全部はじめてだった。
全部の"はじめて"を美勇人くんは私に教えてくれた。
美勇人くんが世間に知れ渡って、認められるのが本当に嬉しかった。美勇人くんが幸せそうだったから私も幸せだった。
私が知らないうちに美勇人くんは、美しくて勇ましい人になっていた。
私の知らない美勇人くんの強さを見せられてほんの少しだけ怖かった。それと同時に自分の弱さを思い知らされた。
それからというもの、やっぱりTravis Japanじゃない美勇人くんを受け入れることが出来ず9月に。
それでもトラジャが好きだから、自分のペースで応援は続けた。
その間にもV系バンドの夏ツアーに通った。
埼玉、高崎、札幌、福岡、沖縄、と、当時高2の私からでは考えられないくらい遠征した。
今思うと何かから逃げていたんだろうなと思う。
顕嵐くんが抜けて、拡輝くんが抜けて、美勇人くんも居なくなった。ずっと好きだったグループの先の見えない状況に、不安と恐怖が止まらなかった。
だから、大丈夫わたしは何も知らない、楽しく生きれるよ、なにも怖いことなんてないよ。そうやって、どこか自分に言い聞かせていたんだと思う。
そして、そのツアーファイナル9月28日。
でもその9月28日は、私にとってやっぱり行かなくてはいけない場所から逃げた日だった。
その日はユメアイ千秋楽。
あれからトラジャは6人になっても廃れず頑張ってくれていた。6人で踊っている姿は少し寂しく見えたけれどやっぱり好きだと思った。
美勇人くんが居ないこの状況にはやっぱりまだ慣れないけれど、応援しよう。そう思っていた矢先のことだった。
梶山朝日くんの退所疑惑
これが朝日にとって最後のステージかもしれない。まさか朝日が…信じられなかった。というか信じたくなかった。だってあの朝日が居なくなるわけがないもん。
そして当日。
やっぱり私は逃げた。
何やってんだろうなあ。私はいつまで弱いままなんだろう。そう思った。でもどう足掻いても行くという選択をするのはその当時の私には無理だった。
その日の帰りの電車で私は号泣した。
だって常に笑顔で踊ってた朝日が泣いてたなんて言うんだもん。
やめてよ、勝手に居なくならないでよ。なんで泣くの、泣かないでよ。そんなの認めてるようなもんじゃん。
そんな思いも虚しく、みんなから愛される最年少は呆気なく居なくなってしまった。
それからTravisJapan は5人から7人になった。
どうしても受け止められなかった。
トラジャに美勇人くんの帰る場所なんて無いんだなぁと思い知らされたから。
まつく、げんげんごめんね。
お2人の担当さまにも申し訳なさでいっぱいだった。
2人がどんな想いで加入を決めたか、そんなの痛いほど分かっていた。けどやっぱり悲しくて苦しかった。
そして、2018年
《3月25日 Jr.祭り Love- tune単独公演》
美勇人くんの"今"そして"これから"の居場所はここなんだ。いつまでも過去に縋ってるのは私だけなんだ。そう思い知らされた。
けれど、美勇人くんは本当に楽しそうでキラキラ輝いてた。美勇人くんを好きでいて良かった、そう心から思えた日だった。
メンバー皆に「みゅーと!!」って呼ばれているのを見ると、悲しいけれどもう認めるしかないんだなぁ、って。今のLove-tuneには美勇人くんが必要なんだなって。
みんなに愛されてるわたしの大好きな美勇人くんがそこにいた。
《3月26日 Jr.祭り TravisJapan単独公演》
もういい加減受け止めなきゃ、その一心だった。私はそれまでどうしても7人のトラジャを見れなかった。どこか目を伏せていた。
その日は宮近担として、有り難いことにメンステ真ん前で入らせてもらった。
開演前から泣いちゃダメだ、そう言い聞かせていたけどやっぱり無理だった。メンバーに申し訳なさしか無かったけれど、どうにも止まらなかった。
でもね、7人になった新しいTravis Japanはムカつくくらい輝いてた。
"
もう7人で大丈夫だよ。
俺たち頑張れるよ。だから見ててね。
"
そう言われているみたいだった。
"過去"も"未来"も受け止めてそれぞれの想いを抱きしめ歩き出す7人がそこには居た。
あと、どうしても涙が止まらなくて困ってたときに、うみくんが私を見て頷きながら「オレたち大丈夫👍」って。
私の知ってるうみくんはもっと弱い子だったのになぁ、いつの間にか強くなったんだね。
こんなオタクに構ってくれてありがとう、ごめんね。
その日を境に少しだけ、ほんとに少しだけど7人のTravis Japan を受け止めることができるようになった気がする。
それでもやっぱりまだ少しだけ思い出す。
特にこの季節は苦しくて悲しくて、どうしようもない気持ちに駆られる。
"夏"の濃い匂いが、微熱の様な夢に未だ閉じ込められたあの日の雨も汗も涙も全部鮮明に思い出させるから。
ごめんね、あと少しだから、あと少しだけ許してください。あと少ししたら動き出せそうな気がするから。
だからあと少しだけ、大切な時間に、思い出に、大好きだった9人に縋らせてください。
もう何があっても過去には戻れないから。
"あの夏"からもう1年が経とうとしているみたい。時の流れは怖いなあ、今年もどうやら泣いて過ごすみたいです。
いつか夏が好きになれる日はくるといいなぁ、
あらんくん、拡輝くん、美勇人くん、朝日、のえるくん、しめちゃん、しーくん、ちゃかちゃん、うみくん、
そして、まつく、げんげん。
みんなで築き上げたTravis Japanが世界に羽ばたけることを信じて。